2008年04月11日

宮本川(1)

海。
空。

蒼い海。
蒼い空。

ここはどこだろう。
太平洋? 大西洋?
ずうっと広がる大きな景色。

いつから俺はここに居るのだろう。
昨日から? 去年から?

それとも...

...そうだ。
きっと俺の人生はここで終わるのだろうね。

いろいろ起こったようで
あまり何も無かったような人生だったかなぁ。

静かに眼を閉じよう。
そうすれば聞こえてくるんだろうか。
波の音や風の音や...空気の音...地球の声。

大袈裟かな...

...みんなはどこに居るんだろう。
あの空の向こう...きっとそうなのかなぁ。

やっぱり...静かに眼を閉じよう。

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1961年。

北関東の外れ、大きな街。
そのやや北の方に、宮本川は流れている。
川上には(今はもう閉山となった)炭坑。
川下には(今はもう撤去された)セメント工場。
そんな宮本川の岸辺に俺の故郷はあった。
そして1961年、そこで俺は生まれたんだ。

白黒のテレビは、俺が3〜4歳の頃に家に来たんだと思う。
家族で出かけた帰り、プロレス中継(野球中継かな?)を見たくて
家に着くなり急いでスイッチを入れるが、声だけが聞こえてきて
絵はなかなか出てこない。でも巨人が負けたことだけはわかった。
絵が出たときには、上原ゆかりのコマーシャルに変わっていた。

そしてライスカレーを食べるんだ。
カレーライスじゃないライスカレー。
あの頃は確かにそう言っていた。
黄色いカレー。カレー粉を小麦粉と水と塩で溶いて
ジャガイモと人参と豚肉の入った鍋に入れる。
それがルーってこと。...かならず2〜3杯はおかわりしたよ。

家の裏に、大きな犬が飼われていた。
とても大人しい俺によくなついた犬だった。
首に短い鎖を巻いていて、小さな僕は彼の背中に股がり
金太郎よろしくお馬の稽古。
でも彼は嫌がらず、俺を乗せたまま家の周りくらいなら
平気で歩いてくれた。

庭には梅の木が生えていた。毎年、季節がくると落ちた梅を
母と一緒に拾った。梅酒を造っていたんだけれど、子供の
俺も飲んでいた。おそらく酔っぱらうって感覚、この頃からかな。

川向かいの家からは、よくビートルズの曲が聞こえていた。
その頃には珍しい3階建ての瀟洒な邸宅。
...でもきっと如何わしい仕事で稼いだ金で造った家なんだ、
って思っていた。2階にはホームバーカウンターがあったし
ステレオも最先端のマトリクス4チャンネルの豪勢なものだったし
車も2〜3台あったし、
...でも本当は如何わしい仕事ではなかったんだと思うよ。

もちろん風呂は銭湯。
国道を渡ったところにごく当たり前に銭湯があったし
別に内風呂なんてあることが珍しかったし。

毎日、祖母が面倒を見てくれていた。
両親は共働きだったからね。

...小学校へ上がる頃、弟が生まれたんだ。
それが、きっと第2章の始まりだと思うんだ。
長い旅への第2章。

そしてあの戦争もその頃から始まっていたんだ。
posted by ozzy3635 at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 私小説
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